温泉好きのお湯

自称「静かな温泉ブログ」。主に北関東・甲信越の静かな温泉に行っています。今度はどこへ行こうかな。

「Mr.隠し湯」武田信玄ゆかりの温泉まとめ

自分の温泉旅の行き先は、北関東と甲信越がメインです。その中でも、山梨・長野・群馬の3県が多いです。

今から400年以上前の戦国時代、山梨県・長野県の大部分と、群馬県の西側は、かの有名な戦国武将「武田信玄」によって治められていました。

知っている方も多いと思いますが、この武田信玄は「Mr.隠し湯」とでも呼びたくなるほど、領地の中のあちこちに「信玄の隠し湯」という温泉を持っていました。

いい温泉には効能がありますが、信玄はその効能に注目し、領地の中で見つけた温泉を「信玄の隠し湯」として、自らよく利用していたそうなのですね。

ということで今回は、山梨県・長野県の、武田信玄ゆかりの温泉をまとめてみます。自分が行ったことのある場所オンリーではありますが。

加えて、長野県のお隣の群馬県にある温泉のうち、信玄のライバル「上杉謙信」や、信玄の後継者「武田勝頼」、武田家に仕えた真田氏ゆかりの温泉も紹介してみます。

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山梨県(甲斐国)にある隠し湯

武田信玄は、今の山梨県(甲斐国)に生まれました。

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普段暮らしていたのは、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)という場所で、今の甲府駅の北口から坂を上っていった先にあります。現在は武田神社になっています。

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甲府湯村温泉(甲府市)

そんな躑躅ヶ崎館から西に4キロほど進むと、甲府湯村温泉があります。徒歩でも1時間以内ということで、馬だとどのくらいかかったのでしょうか・・・

ここ甲府湯村温泉は信玄も利用したと伝えられていますし、信玄の後継者、武田勝頼もここ湯村で湯治をしたと伝えられています。

時が流れ昭和時代になると、甲府のお隣に石和温泉が湧いて大きな温泉街ができ、今は石和温泉のほうが有名になりました。

ということで、現在の甲府湯村温泉は静かですが、信玄の「自宅最寄りの隠し湯」のひとつが、ここ甲府湯村温泉だったわけです。

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下部温泉(身延町)

次に、今の日本で「信玄の隠し湯」を一番強くアピールしている温泉は、下部温泉だと思います。 

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信玄は、有名な「川中島の戦い」で上杉謙信の軍と何度か戦っていますが、その際に謙信と信玄が一騎打ちをした、という話が残っています。

その時に受けた刀傷を癒しに、信玄は下部温泉に行ったとか。こちらは躑躅ヶ崎館からは40キロほど離れています。馬ではどれほどかかったのでしょうか。

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また、当時の甲斐国は金が取れました。信玄は各地の金山で金を採掘して、金貨を作っていたそうです。

下部温泉のすぐ近くにも「湯之奥金山」があり、金が取れたようです。JR下部温泉駅の近くに「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」があります。

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増富温泉(北杜市)

そんな信玄が金山を開発中に発見したといわれる温泉が、増富温泉(増富ラジウム温泉)。かなりの山奥にあります。

金が取れたのかどうかは分かりませんが、増富の温泉は黄色く濁っています。天然の放射能が含まれる温泉と言われ、湯治で訪れるシニア世代の方が多いところです。

今は廃業してしまいましたが「金泉湯」という名前の湯治宿もありました。温泉の色が、金を思い出させるような色なのです。

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長野県(信濃国)にある隠し湯

信玄は地元の甲斐国を治めていましたが、やがて、お隣の信濃国に勢力を広げていきます。そういうわけで、信濃国にも隠し湯はあるのでした。

奥蓼科温泉郷(茅野市)

信濃まで軍をスムーズに移動させるために、信玄は「棒道」という道路を整備しました。そんな棒道の整備中に、いくつかの温泉が見つかったようです。  

そのうちのひとつが、奥蓼科温泉郷。今は八ヶ岳等に登山する人が、登山の前に泊まったり、下山後に汗を流したりする温泉郷です。 例えばここ、渋御殿湯。

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日帰りでしか利用したことがないのですが、現在の唐沢鉱泉や渋・辰野館などの温泉も、隠し湯だったといわれています。

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大塩温泉(上田市)

信玄の信濃攻略は順調だったわけでもなく、現在の上田市のあたりでは2度ほど敗れています。(戦に敗れた後に、地元の甲府湯村温泉で湯治したと言われています)

そんな上田市に残る信玄の隠し湯は「大塩温泉」。今は旅館が1件と、公民館の中に「大塩温泉館」が静かに残っています。

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大塩温泉の近くには、鹿教湯、霊泉寺等の温泉があり、どこも歴史の長いところですが、信玄の隠し湯と言われているのはここ大塩温泉です。

確かに大塩温泉が一番ひっそりしていますね。 

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なお、大塩温泉から車で20分ほど行った先にある「生島足島神社」には、信玄の描いたとされる書状が残されています。

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渋温泉(山ノ内町)

信玄の勢力は信濃国の北の方まで伸びてきます。北信エリアで有名な隠し湯は渋温泉。今も共同浴場には武田家の家紋が残されています。

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古い木造の建物が多く残る渋温泉の温泉街には、今は国内外から多くの観光客が訪れています。

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武田家のその後と、群馬県(上野国)の温泉

信玄はさらに東に軍を進め、上野国(群馬県)の西側も自らの勢力にしました。さらに今度は南下し、駿河国(静岡県東部)も信玄の領地になります。

さらに信玄は京都を目指して軍を進め、浜松城にいた徳川家康の軍と戦って勝ちました(三方ヶ原の戦い)が、その後、抱えていた病気が重くなり、退却することに。

その途中、甲府に戻ることなく信玄は死去しました。

後を継いだのは、息子の武田勝頼。「勝頼の隠し湯」と呼ばれる温泉はないようですが、勝頼も「自宅最寄り」の甲府湯村温泉を利用していたようです。

伊香保温泉(渋川市)

武田勝頼と言えば、長篠の戦いで織田軍の鉄砲隊に敗れたことが知られています。敗れた後、勝頼は家臣の真田昌幸(真田幸村の父)に、伊香保温泉を整備させたそうです。

戦いで傷ついた武将や兵士たちが、ここ伊香保で体を休めたのかもしれません。

今も残る伊香保温泉の石段は、この時期からあるのでしょうか?

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湯宿温泉、猿ヶ京温泉(みなかみ町)

ここで「真田」という名前が出てきました。真田幸村で有名な真田氏は一時期、武田信玄・勝頼に仕えていたわけです。

ということで、真田氏ゆかりの温泉もいくつかあります。

その中の一つが、湯宿温泉。三国街道沿いの湯治場です。信玄が死去して時代は流れ、真田昌幸の長男、真田信之(幸村の兄)が湯宿温泉に入ったとされています。

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湯宿温泉から北に5キロほど行くと、猿ヶ京温泉があります。

信玄と川中島で何度も戦った、越後国(新潟県)の武将、上杉謙信が「猿ヶ京」の名前をつけたのだそうです。

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真田氏も上杉謙信も、隠し湯と呼ばれる温泉をいくつか持っていたようなのですが、長くなってしまうので、またの機会に。

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ということで

信玄の死後、勝頼が後を継ぎましたが、1582年、勝頼はあえなく織田信長に滅ぼされてしまいます。勝頼は山の中で切腹したと伝わっています。(天目山の戦い)

その後時代はめまぐるしく動きます。

勝頼を滅ぼした織田信長も、その同じ年に本能寺の変で明智光秀に討たれ、やがて豊臣秀吉の全国統一、秀吉の死後に徳川家康が江戸幕府を開く、という流れ。

徳川家康も、結構な温泉好きだったようです。

武田氏は滅亡しましたが、武田氏に仕えていた真田氏や、信玄のライバルだった上杉氏は、そんな時代を生き残って幕末まで大名として続きます。

そんな風に時代は流れていくのですが、信玄やその他の武将たちが入った温泉は、今もあちこちで湧き続けています。 

そんなことを思いながら温泉に入るのも、またよいかと。

また、山梨県、長野県にはこの記事で取り上げた以外にも、多くの「信玄の隠し湯」があります。諏訪の毒沢温泉、小谷温泉、松代温泉・・・などなど。

行ったことがないので紹介できなかったのですが、いつか行きたいところですね。

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さて、今度はどこへ行こうかな。